ちょっと天然でのんびり屋です!日本語はちょっと自信がありますよ
性格(自己分析)です
明るいほうだと思います。夫といるときは私ばかりが話しています。歴史が好きで、今は奈良や京都も近いのでうれしいです。国際結婚して日本に住んで24年、最近は親孝行を真剣にしなきゃと考えています。韓国語を日本のかたに教えることはとてもやりがいを感じています。
一人娘はもう社会に出て、ホテルでシャキシャキ働いています。そんな忙しい娘とたまにお出かけして、遊んでもらうのが楽しみです。
私の故郷と生い立ちについて
1972年12月韓国慶州に生まれました。慶州は仏国寺が有名な観光地で、日本で言えば奈良のような地。3人兄弟の真ん中。兄と妹がいます。おばあちゃん子で自由奔放に生きてきたように思います。実家は柿の木畑があった丘にペンションを立てて経営していました。その名も「柿の木ペンション」。今は両親も年老いたので、ペンションはクローズしています。春になると桜並木がきれいな団地にあるペンション町なので、たくさんの観光客で賑わいます。
主人と出会って結婚、転勤であちこちに住みました
好きなことをして過ごした学生時代に主人と知り合い、日本に住むことに。東京の中野区の小さなアパートでスタートした結婚生活はなかなか刺激的でした。当時通い詰めた中野のブロードウェイ商店街は忘れられないです。それから転勤を重ね、宮城県の仙台に住んでいたこともあります。夏は海に行ったり、冬は芋煮会をしたりと楽しい思い出があります。大阪に引っ越す前はつくば市に住んでいました。学園都市でしたので、あのJAXAも近くてきれいに整備された緑も多い住みやすい町でした。今では地震も多いですけど。
大阪に来てからは早いもので12年が経ちました。
日本の生活も24年
主人の仕事の関係で、2年ごとに引っ越しを繰り返し、いろんな地で生活しました。片言の日本語で始まった日本の生活でことばの重要性を痛感しました。そうこうしているうちに、2002年にはサッカー日韓ワールドカップが行われ、冬ソナを皮きりに「韓流ブーム」が到来。予想もしないほど、母国韓国と日本が近くなりました。ひとり娘も授かって、我が家庭では国境のない平和は日韓関係が続いています。そうは言っても、私たちにとっては「竹島問題」以上のバトルが幾度か展開しての今ですが。ひとり娘も独り立ちしてホテル勤めをするようになり、今は、夫とウサギちゃん(プリン)とのんびりと毎日を過ごしています。
韓国語講師として
○○大学語学院修了、のような肩書はありません。普通の韓国人が日本のお友達がひとりでも多く欲しくてレッスンを始めて今に至りました。今ではスカイプレッスンは週に平均30時間はこなしています。かつては小学生にグループレッスンを2年ほどしたこともあります。自宅でのリアルレッスンもスカイプの合間に行っています。肩肘張らずに気楽に楽しくできるレッスンを心がけています。ビジネス利用や留学準備の方には大手の語学学校のほうがよろしいかもしれません。そうでないニーズの方々を相手に少しでも韓国語の習得をお手伝いできれば幸いです。
先生・生徒というよりも、お友だち
10年以上の長いお付き合いの生徒さんもいらしゃいます。もちろん韓国語の上達がメインの目的ですが、居心地のいい時間・間柄をもっとつくっていければと思っています。